盟三五大切

テレビは前からそれほど見なかったのですけれど、吉右衛門見たさに毎週鬼平犯科帳だけはかかさず見てました。にもかかわらず、この人は主な活躍の場が歌舞伎ということでテレビ以外では見ることがなかったわけです。歌舞伎自体に馴染みがなかったのでわざわざ吉右衛門だけ見に行くのもねえ。
ところが、昨年末にひょんな機会で歌舞伎に連れて行ってもらってから急展開。通し狂言という初心者にはハードな演し物にもかかわらずかなり面白かったのです。最初に見たのは伊賀越道中双六だったのですが、その翌月の噂菊(かねてきく)柳沢騒動にいたって確信しました。御殿の話なので衣装が綺麗だし、何より役者さんの動きが綺麗。特に中村時蔵のおさめ(柳沢吉保の奥方で将軍綱吉の愛人)、朝妻舟の踊りをうっとりと眺めてしまいました。声も綺麗だし全く自然に楽しめました。古典芸能だし、などと自分に言い聞かせなくても熱中して見られるというのが(志が低いのですが)驚きでした。
その後、3月の本朝廿四孝に時蔵さんの八重垣姫を見に行ったりしたのですが、今月の演し物は、時蔵さんに加えて、かねてお目当ての吉右衛門が主役という、本当に見に行きたいと思わされる演し物だったわけです。急に予定が開いて一人で行ったので、なんと初歌舞伎座、初幕見。
お話はうんと端折って、わけあって百両必要な三五郎という船頭が、妻のおろくを芸者に出して稼がせているところに、ひっかかった源五郎というある侍。彼も実はわけあって百両必要なのですが、たまたまそれを手に入れたところを、おろくへの想いゆえに夫婦に騙し取られてしまい…、そこから凄まじいエログロの復讐劇になっていくのです。
おろく(小萬と名乗っています)が源五郎を騙す時に、腕に「五大力」と入れた彫り物を見せて信用させるのですが、これは当時流行った心中立てで、五大力菩薩に恋の成就を願った物だと言うことです。三五郎は源五郎を騙すべく妻にそれを彫らせたわけですが、計画がうまくいってみるとその彫り物が気にくわない、そこで上に三と、力の隣に七を足して、三五大切と彫り直したということから、この外題になっているわけです。でも考えてみれば、五大力なんて誰に対しての恋の成就を願ってるのか見た目ではわからないものですから、別に無理に彫り直さなくても良さそうなものですけれどね。そんなところが、落ち着きはらった悪いやつに見える三五郎の意外なかわいげ(幼児性?)をあらわすことになって、物語の意外な結末にも不自然さがなくなるような気がします。実際これがなかったら、三五郎が実は完全なワルじゃなかったと言われても納得できないでしょうね。
時蔵さんのおろくも、劇評によっては芸者のわりに所帯じみてたという人もいましたが、そんなところが三五郎と好一対なのではないかと思うのです。仇で伝法な女だけれど三五郎一途で、源五郎相手にままごとまがいをするときには何だか素の女房が出てしまっている、そんな感じにとれました。私は不自然な感じはしなかったです。
今回最大の見せ場は、源五郎のおろく殺しだったと思うのですが、これがまた鳥肌だつような綺麗さで、殺した後に生首の髪を撫でながら退場する源五郎はこれが江戸時代の脚本かと思われるくらい倒錯美に満ちていました。生首とお茶漬け食べようとするところまでは好かったのだけれど。
お目当ての吉右衛門は、台詞の間、身のこなし、見当違いなのは重々承知ながら「(私の好きな)鬼平だ!」とわくわくしてしまいました。あの雰囲気は吉右衛門独自のものだったのですね。ますます好きになりました。幕見の手軽さもわかったことだし、また近いうちに見に行きたいものです。
*今日のお夕飯
美味しい薩摩揚げをあぶって擂り生姜と一緒に、
和風ラタトゥイユ(今日の料理6月号レシピ)
 茄子を揚げなかったせいか、おいしいけどラタトゥイユではなかった。
ゆで蚕豆(大籠いっぱい300円)
明太子とキャベツの焼きうどん(今日の料理6月号ケンタロウのレシピ)美味。
かき玉汁
*今日の本

薮の中/好色 [新潮CD]

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表題作よりも、あまり有名でない短編が面白かった。
「世の中と女」という文の中で、大義名分ではあるがと申し開きしながら、芥川は言う。

また世の中の仕事に関与するとなると、女は必然に女らしさを失うように思う人がある。が、私はそうは思わない。なるほど、在来の女らしい型はこわれるかも知れない。しかし、女らしさそのものはなくならないはずだ。

それでも芥川は自分は在来の女らしい型に惹かれると書いているが、理論上にせよ大正時代の芥川が持ち得た名分さえ分別しない男が現代に多いことを思うと、その幼稚さにげんなりすると同時に、そんな幼稚さに振り回されてる女にもつまらない思いがする。